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イタリア事情斜め読み

ヴィズマーラ恵子|イタリア

地元のイタリア人と観た『ハウス・オブ・グッチ』、実話は映画より奇なり

筆者撮影:存続する日本最古の歴史ある映画雑誌「キネマ旬報」様に、記事を書かせてもらった。とても光栄なことで恐悦至極である。映画「ハウス・オブ・グッチ」特集。キネマ旬報 2022年1月上下旬合併号No.1882より

| 映画では描かれていない、華麗なる「レディー・グッチ」の素顔

イタリアのファッション王朝を代表する世界的ラグジュアリーブランドGUCCI(グッチ)をどこよりも詳しく背景解説をしてみた【後篇】

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筆者撮影:イタリア映画公開初日、映画館にて

 ファッション王国イタリアを代表する世界的ラグジュアリーブランドグッチ(GUCCI)は、フィレンツェの小さな麦わら帽子製造会社の息子グッチオ・グッチが1921年に創業し、今年でちょうど100年となる。90年代のイタリアを震撼させた最もスキャンダルなニュースの主人公が、グッチの相続人であるマウリツィオ・グッチとその元妻パトリツィア・レッジャーニである。

1995年3月27日の朝、ミラノで夫マウリツィオ・グッチが何者かによって拳銃で射殺された。当時、捜査は大変難航していて、2年もの間、犯人逮捕に至らない未解決事件となっていた。共犯者からの内部告発とカルロス作戦と呼ばれる囮捜査により、1997年、マウリツィオ・グッチ殺害の扇動者が逮捕された。その人物は、なんとマウリツィオ・グッチの元妻パトリツィア・レッジャーニだった。世俗的で華やかな生活を送っていた当時のグッチ夫人が、センセーショナルな殺人の冷酷な扇動者であり、凶悪な犯罪を企てたなど、誰が想像できただろうか。

この逮捕劇は、メディアの強い関心を呼び起こし、裁判の状況も連日、新聞やテレビで報道された。事件から26年が経過した今でもイタリアでは依然として大きな関心を集めている。

レディー・ガガ主演のリドリー・スコット監督の新作映画「ハウス・オブ・グッチ」のリリースに合わせて、最近再び脚光を浴びるようになり、この野心的で強欲な元妻であるパトリツィア・レッジャーニの半生を追ったドキュメンタリー番組であったり、現在72歳となった彼女に17年間の獄中生活がどんなものだったかなどをインタビューした収録番組などが度々放送されている。

 まるでおとぎ話のようなグッチの御曹司との出会いと結婚、贅沢三昧な結婚生活、血なまぐさい終末。豪華絢爛な上流社会の生活から獄中生活へと、急転直下の人生を歩んだパトリツィア・レッジャーニとはどんな女性なのか。愛が憎しみへと変わっていった原因は一体何だったのだろうか。

贅を極めた豪華絢爛な上流社会の生活から獄中生活へと、急転直下の波乱な転落人生を歩んだパトリツィア・レッジャーニとはどんな女性なのか。彼女の生い立ちから追って、犯罪の動機までを掘り下げ、スリリングな背景を詳しく説明していこう。また、刑期を終えて釈放されたパトリツィア・レッジャーニの現在の様子などを紹介してみようと思う。

| パトリツィア・レッジャーニの生い立ち

実父を知らない貧困家庭で育った幼少期から逆転成り上がり最初のターニングポイント

パトリツィア・レジアーニ・マルティネッリは、1948年12月2日にモデナ県のヴィニョーラで生まれた。

母親のシルヴァーナは、レストランの皿洗いをして生計を建て、娘と一緒にミラノ郊外にある小さなアパートで暮らし、質素な極貧生活をしていた。パトリツィアは、一度も血の繋がった実父と会った事がない。

パトリツィアが12歳の時、母親は、輸送会社を持っていた起業家のフェルナンド・レッジャーニと出会い、当時ミラノのセレブ地区でVIP通りにある大きなアパートで一緒に暮らすようになった。

フェルナンド・レッジャーニのおかげで、母シルヴァーナとパトリツィアは裕福な生活へと一転した。

フェルナンドには、養子のエンツォという息子がいたが、シルヴァーナはその存在が邪魔で気に入らず、寄宿舎のある学校へ送った。継父フェルナンドは、パトリツィアを我が子のように溺愛し始めとても甘やかして育てた。

パトリツィアが15歳になった時、父は白いミンクの毛皮コートを買い与え、彼女はその毛皮を着て学校に登校していたという有名な逸話があるくらいだ。

パトリツィアは、いつも父親に愛される存在でいなければいけないと必死で、可愛く、美しくいることだけに専念し、父親の顔色ばかりを伺う少女時代ではあったが、自分が欲しいと望むものすべてを確実に手に入れる事ができた。パトリツィアが成人年齢である18歳になった時に、正式にフェルナンド・パトリツィアの養女となった。

これが、パトリツィア・レッジャーニの人生における最初のターニングポイントである。

| 俳優を目指す父と女優の元に生まれたマウリツィオ、幼くして母を亡くす

一方、未来の夫となるマウリツィオ・グッチの生い立ちをみてみよう。

父親のロドルフォは、グッチ後継者の座など全く興味がなく、野心家な兄弟達とは違うちょっと変わった五男であった。創業者であるグッチに最も愛された息子でもある。

兄弟間での後継者争いや確執から一線を置き、彼の夢は映画俳優になることだった。洗練された気品と身のこなしで笑顔が魅力的な俳優となりスクリーンデビューを果たしている。その後、若い女優の卵であったドイツ人のアレクサンドラ・ウィンケルハウゼンと結婚をする。二人の間に生まれたのが、一人息子のマウリツィオ・グッチである。父親はマウリツィオの誕生後、家族を養うために映画俳優を辞め、イタリアに戻って家業のグッチで兄弟と共に働き始める。

母アレクサンドラは、マウリツィオが6歳の時に肺炎で亡くなった。幼くして母を失ったマウリツィオは、父親の非常に厳格な教育の下で育ち、性格は大人しく内気な少年だった。大学では成績も優秀でスポーツ万能であったという。後に映画の中でも長女が誕生した際、伯父に「アレッサンドラという名前をつけたのは誰がつけたのか?」と聞かれ、「私のアイディアです」とレディー・ガガ演じるパトリツィア・レッジャーニが答える。
マウリツィオが幼い頃に亡くした母親の名前、アレクサンドラのイタリア語名をオマージュとして第一子に与え名付けたことは、伯父から気に入られ、グッチ家に受け入れられる大きなきっかけとなるシーンだなと感じた。これは、マウリツィオの母親がアレクサンドラという名前だと知っていなければ、全く意味の分からない簡単に見過ごされるシーンであった。

| 二人の出会い

女性と接する事も全くなく、不器用でシャイな男の子であったマウリツィオが、二十歳を迎えた1970年、友人宅でのホームパーティーで真っ赤なドレスを身にまとい踊っているパトリツィアと出会う。

マウリツィオは、エリザベス・テイラーを彷彿とさせるような彼女の紫色の瞳と豊満なバストがとても魅力的であったパトリツィア・レッジャーニに惹かれ、まさにそれは一目惚れであり、マウリツィオにとっては、それが初恋だったのだ。

たちまち、二人は惹かれ合い恋に落ちた。

マウリツィオの父ロドルフォは、二人の交際は認めておらず、結婚にも大反対をしていた。父の怒りに反し、二人は反対を押し切って1972年10月28日に結婚をした。豪華な結婚式典に招待されたゲストは500人以上。

マウリツィオ父、ロドルフォ・グッチは結婚式には出席しなかった。

こうして、パトリツィア・レッジャーニはファッション王朝グッチ一族の一員となった。

| 贅沢の極み「グッチの女帝」へ

4年後の1976年に、二人の間に長女となるアレッサンドラが誕生し、1981年には次女アレーグラも誕生した。豪華なヨット、サンモリッツの別荘、優雅な旅行で豪遊、贅沢の旋風はやがてパトリツィアを変えていった。彼女は幻想家と貪欲な人々に囲まれ始め、オカルトとカード占いにも執着し始めた。

二人は、ミラノの歴史地区中心地で一等地のサンバビラ広場にある豪華なペントハウスで優雅な生活を送り、幸せな日々を送っていたかのように見えたが、それも長くは続かなかった。

マウリツィオはますます仕事に専念をするようになり、世界中を飛び回っていたので連れ違い生活が続いた。子供たちの育児は、すべてパトリツィア一人に任せっきりだった。夫が自分のやり方を否定し会社から除外しようとすることも、育児をすべて押し付け家庭を顧みないこともパトリツィアは気に食わず、口論は日常茶飯事となった。

パトリツィアは、グッチ夫人の地位と権力を利用し、いつしかビジネスにも口出しをするようになり、「グッチの女帝」のように振る舞い始めた。才能もないのに自身のデザインしたオリジナルデザインを採用してバックを作らせたり、人事採用権も彼女にある。彼女のワンマンン独裁スタイルは、目に余るものがあった。

浪費ぶりを冷笑する周囲の人々に対しては、彼女は

「自転車に乗って暮らすような生活をエンジョイするより、ロールスロイスの中で泣く人生の方がましよ。」

と言い放ったそれは、彼女を象徴する有名なフレーズとして記録されている。

後に、様々なインタビュー番組の中で、72歳になったパトリツィア・レッジャーニは素直に答えている。「その時代のことを振り返った時、あなたはレディーグッチだと感じていましたか?」という質問には、彼女は

私はミラノの女王だった

と答えた。

【関連記事】前篇
グッチ一族の暗殺事件をどこよりも詳しく解説してみた

| 夫がグッチ社長に就任、二人の間の歯車が一気に狂い出す

従兄弟のパオロが3代目の社長に就任した時から、中流階級まで顧客層を伸ばした商品のブランド展開を独断で始めた為に、これまでグッチが築いた高級路線とハイブランドな企業イメージは壊され傷がついてしまった。グッチの売り上げも低下していった。

これが父アルド・グッチの逆鱗に触れ、パオロはグッチから追放された。

その後、このグッチを追放されたパオロだが、従兄弟にあたるグッチ株を50%所有するマウリツィオとタッグを組み、父親のアルドを社長の座から引き摺り下ろすというクーデターを起こす。

株主総会が開かれ1984年に2代目のアルドは社長を辞任した。そして3代目の社長に就任したのが、マウリツィオである。

アルドは簡単に社長の座を奪い取られた事に黙っているわけもなく、翌年裁判を起こした。マウリツィオは社長職を一旦離れるが、翌年パオロは父親の脱税を告発し有罪判決。父親を獄中に送った。

このパオロとマウリツィオを共謀させ、2代目社長を辞任に追い込み、自分の夫であるマウリツィオを3代目社長に就かせる計画を企てたのが、"レディーグッチ"ことパトリツィア・レッジャーニである。

1983年、マウリツィオの父親ロドルフォ・グッチが亡くなった事を機に、マウリツィオは、グッチ一族の後継者争いと相続問題に巻き込まれることとなった。

マウリツィオはグッチの社長に就任した。そして、徐々にパトリツィアと距離を置き始めた。

| 夫の裏切り、不倫発覚

父親ロドルフォが他界して2年が経った頃から、マウリツィオのパトリツィアに対する態度が明らかに変わっていった。

元々、ロドルフォは「あの女は、金目当てだ。グッチの財産にしか興味はない。結婚など許さない」と、パトリツィアとの結婚を猛烈に反対していた。父の反対を押し切って結婚をしたという経緯がある。父を亡くし、一気に襲う空虚感と不安。重くのしかかるファッション帝国グッチのプレッシャー。

マウリツィオには、側にいて優しく癒してくれる人が必要であったのだろう。

ある日、マウリツィオは、フィレンツェへ短期間出張に出るとパトリツィアに告げた。

翌日、パトリツィアは夫を見送った。

その後、マウリツィオは代理人を介して1通のメッセージをパトリツィアへ送った。それは、「二度と家に帰るつもりはない。我々の結婚は破綻した。」という一方的で身勝手なメッセーであった。

その時の心境をディスカバリー+プラットフォームで配信されたドキュメンタリー「レディーグッチ、パトリツィア・レッジャーニのストーリー」で赤裸々に語っている。

「私は特定の日にマウリツィオを憎むようになりました。しかし、子ども達にとっては父親なんだし、親子である事には変わらない。家族はいつでも家族だと思っていたけど、彼がスーツケースの準備がすでにできていたことに驚きました。」と、パトリツィア・レッジャーニは語っている。

特定の日とは、夫不在で虚しく過ぎる結婚記念日や自身の誕生日や子供たちの誕生日のことであっただろう。

その時は、彼女にはまだ余裕があった、それは、まだ「グッチ夫人」という立場は健在であったからだ。

しかし、マウリツィオが離婚をしたいと言い出してから、取り返しの付かない事態へと急展開する。

実は、マウリツィオには新しいパートナーである、パオラ・フランキという女性の影があったのだ。

パオラは、金髪ですらっと細身の体型をしたの35歳の既婚者だ。彼女は夫と子供がいたが、夫との関係は冷え切っており、こちらの夫婦にも色々と問題があった。つまり、マウリツィオとパオラは、ダブル不倫をしていたということになる。

マウリツィオとパトリツィアは、常に言い合いになり、喧嘩が絶えなず家庭内に癒しは存在しない。

このままではお互いのためにならない、子供達のためにもならないと、マウリツィオは、家を出て別居する事にした。その後、マウリツィオから離婚して欲しいと言う要求も突きつけられた。

もちろん、パトリツィアは黙ってはいない。

ディスカバリー+プラットフォームで配信されたドキュメンタリー「レディーグッチ、パトリツィア・レッジャーニのストーリー」でインタビュー中に自分自身について、離婚原因や決定的な殺意が芽生えるきっかけになった出来事などを赤裸々に語った。

社会的地位を捨て「グッチ夫人」の座を他の誰かに譲るつもりなど微塵もない。何年にもわたる喧嘩と非難が続いたという。彼女は出て行った夫に電話で:「あなたはまだ本当の地獄を見ていないわ、これからよ」というような内容で、1日に何十件もの恨み辛みや脅迫メッセージを留守番電話を残していた。

※イタリアではこの行為は、立派なストーカー行為であり犯罪である。イタリア刑法612条bis2。繰り返しの行動で持続的に深刻な不安状態を引き起こすような方法で人を脅迫または嫌がらせをした場合、1年から6年6ヶ月の懲役に処せられる。配偶者が別居または離婚した場合でも、感情的な関係によって犯罪者と関係がある、または関係している人が犯罪を犯した場合、またはITやテレマティックツールを介して犯罪が犯された場合でも、刑はさらに重くなる。

| 離婚、心身共に病んでいくパトリツィア

3年の離婚調停の中で、マウリツィオのいとこであるパオロ・グッチは、ミラノの治安判事にパトリツィア・レッジャーニに対する告発もした。

これは、とりわけ、父親のロドルフォがなくなる前に、彼の署名サインを偽造して、グッチ帝国の継承者はマウリツィオにするという遺言の書き換えをしたという訴えの裁判であったが、パトリツィア・レッジャーニは、裁判で無罪になっている。

パトリツィア・レッジャーニは、有名なファッション王朝の相続人と並んで輝く存在であり続けたいと願い、夫を三代目社長に担ぎあげたい一心であった。

しかし、彼女はプライドが高く、強かで打算的である。既に離婚をした場合を想定し、資産の分配を計算し始めていた。離婚による違約金として、年間100万ユーロ(当時のレートで約1億3000万円)相当を受け取る事に合意させた。マウリツィオはサンモリッツに4軒の別荘を持っている。そのうちの1つの別荘と最愛の帆船「クレオール号」も渡すように要求した。

1991年に正式に離婚が成立した。

マウリツィオの新恋人であるパオラ・フランキもまた既婚者だったので、その後、彼女も夫との離婚が成立した。

離婚から1年後の1992年に、パトリツィアは脳に腫瘍が見つかった。

彼女は腫瘍の摘出手術を受けることにし、手術は成功に終わったのだが、同時に、うつ病も誘発していた。病気になってしまった全ての原因とその根元はマウリツィオにあり、過剰なストレスが加わり精神的に追い込まれたせいだと、彼に対する憎悪は倍増していったという。

マウリツィオがパオラ・フランキと再婚する。そして、パオラとの間に早く子供が欲しいと夢見ていることもパトリツィアは知った。

到底、受け入れることはできず、再婚相手との間に子供ができてしまったら、パトリツィアの2人の娘達に相続遺留分が減ってしまう事を懸念し、怒りに震えた。

贅沢な生活を愛し、浮世離れしたライフスタイルを放棄しなければいけなくなるという絶望的な暗い見通しの将来を悲観してか、一層の事、全て失くして終えと、パニックに陥った可能性がある。

彼女に対して支払われる扶養手当や養育費の金額が当初の約束では1億だったのに、6000万へ減額をしてきたことにも不満に思い、異議を唱えていた。

マウリツィオからは、「グッチの名を名乗るな」と名前を使ってはいけないという訴えも起こされた。

しかし、実際のところは嫉妬によるものが殺害動機となったわけでもなく、1993年9月末に、マウリツィオがグッチの持ち株50%をバーレーンの会社に売却した事が直接原因である可能性が高い。

ヨーロッパでのホテルチェーンの建設など、いくつかのプロジェクトを開始する準備ができていたが、マウリツィオは自分の肩にのしかかる重い負担から解放されたかったという理由から、持ち株を売却したのだ。

こういった事が一つ一つ積み重なっていく毎に、不満は憎しみへと変わり、やがて殺意へと変化していった。犯行の1年前から夫をこの世から排除するにはどうしたらよいかと考えるよになったという。

パトリツィア・レッジャーニは出所後のインタビューで率直に

「私は、元夫を殺してくれる人はいないか、殺す勇気がある人はいないかと、知り合いを介して探し回った。屠殺場の肉屋さえも尋ねたくらいです。」

と、語っている。

ナポリのグッチストアのオーナーでありパトリツィアの友人で、姉妹のように仲の良い親密な関係性だった占い師のジュゼッピーナ・アウリエンマに相談。暗殺を一緒に企て、準備をした。犯罪組織のトップであるイヴァーノ・サヴィオーニにパトリツィアは、ヒットマンを紹介され、その男を雇い、夫の暗殺を依頼した。

ヒットマンは、1995年3月27日の朝8時30分にミラノのコルソヴェネツィアにある会社の本社、パレストロ通り20番のエントランスホールに入った。

階段の上から降りて来るマウリツィオに駆け寄り、下からピストルで撃った。4発の銃撃を放ち、背中に2発、そして銃弾は太腿の付け根から入り頭を貫通した。最後の4発目はこめかみに打ち込まれこれが致命的となった。

マウリツィオはその場で即死。

その玄関に立っていたポーターのジュゼッペ・オノラトにも2発、発砲したが殺すことはしなかった。捜査官は、この行為がプロの殺し屋ではないと推測できたと言う。後に裁判で2発撃たれて負傷したオノラトの証言が決定的なものとなった。この殺人を依頼をした主、扇動者が誰であるのかという証拠を掴むまでに費やされた、地道な調査に約2年間を要した。

彼女は、「警察は絶対に私を捕まえられるわけないと思っていたわ」と素直に正直に語っている。彼女は逮捕当初は、100%無実を主張していた。

結局、4人が起訴された。

1997年1月31日の朝4:30に、警察官達は逮捕状を取りパトリツィア・レッジャーニを元を訪ねた。

彼らは、なぜここに訪ねてきたか分かるか?と彼女に尋ねたとき、彼女は冷たく「はい、夫の殺害容疑のために」と答えた。パトリツィア・レッジャーニは、逮捕連行されている日、彼女はすべての宝石と派手な毛皮を身に着けていた。

刑務所に入るので、それらの貴重品や毛皮は家に置いておくように忠告をされたが、パトリツィアは聞き入れず、「私の宝石と私の毛皮は、私が行くところについて来ます。」と言ったことは有名である。どこに行こうがレディーグッチを貫いた。

刑務所入所は宝石と毛皮を身につけ堂々の入所のレディーグッチ。

控訴院では、パトリツィア・レッジャーニの弁護人が「夫人は、以前脳腫瘍の除去のため脳外科手術を受け、後のコバルト療法により殺人を依頼した犯行当時は善悪の判断がつかない心神耗弱状態だった」と主張したが、パトリツィア・レッジャーニが犯罪を組織する事ができていたのかという事が重要な争点であり、5人の共犯者からの供述事実によれば殺人の依頼をした当時の女性の精神的健康状態は平常良好で、心神耗弱状態であったとは到底言い難い。判断能力も責任能力もあったと結論づけられた。

また、精神鑑定を行った精神科医によると、彼女は「自己愛性パーソナリティ障害」だとも証言された。

「自分は素晴らしく特別で偉大だと根拠のない自信から、必要以上に優越感や万能感を抱いている、誇大なイメージを抱く妄想性があり、注目や称賛を求める賞賛欲求が必要以上に強く攻撃的である」とパトリツィアの人格について精神医学の見地から説明をした。

パトリツィア・レッジャーニ殺人正犯で懲役26年の有罪判決が確定した。

1998年からサンヴィットーレ刑務所に入獄。

2年後には刑務所内で首吊り自殺を計ったが未遂に終わった。実際の彼女は、刑務所内でフェレットをペットとして飼うなど特別待遇を受けていた。「私は働いたことがないので、刑務所内の植物のお世話をする水やり係りをしていたい。」と、出所して働く事を拒否。前代未聞の獄中ライフを送った。そんな彼女を世間は"勝利の住人"と呼んだ。

 模範囚として刑期を9年残し17年間の服役を終え出獄。刑が短縮減刑された事で「不屈のクロゴケグモ(黒い未亡人)」というニックネームが加わり、今はそれが彼女の代名詞となった。

出所後のTVインタビュー番組で今の心境やこれからについて、「普通の一般人女性として、再び燃え上がるような恋をしたい。生まれ変わったら、てんとう虫になりたい。小さくて控えだけど変わった模様は少し派手で可憐、幸せを運ぶ希望の象徴になりたい。」と意外なことを口にした。

現在、パトリツィアはペットのオウムと一緒にミラノで静かに暮らしている。長女アレッサンドラとは和解をしており、現在は母パトリツィアと犬と一緒に散歩をしているところやオウムを肩に乗せて外を歩いている姿をよくパパラッチされている。映画の中では、何度か幼い娘が出てくるが、1つ違いの妹である次女のアレーグラは、映画には全く出てこない

| パトリツィア・レッジャーニが撮影でイタリア入りしたレディーガガについて痛烈批判

TVのインタビューで、レディーガガ が演じる事についてどう思うか?の質問には、当人のパトリツィアは、
「私の許可なく、勝手に映画化された。なんのお伺いも立ててこなかったし、私の肖像権などの使用料は映画制作会社から一切もらっていないわ。映画の収益金ももらえない。今後、請求するつもりなんてないけど。(現在パトリツィアはミラノ在住で楽屋入りしたレディーガガの写真を見ながら)私を演じるのがレディーガガですって?彼女は、ミラノに来ているのに自分がこれから演じようとする人物について、もっと知りたいとは思わないのかしら?俳優として繊細さのかけらもない、私の所に挨拶すらしに来なかったわ。正直、映画化は気分の良いものじゃない。」
と、レディー・ガガについて痛烈に批判した。パトリツィア・レッジャーニは、「映画を作った人達については、訴えるつもりはない。まだ見てないからわからないけど。」と、静かに語った。
また、映画が公開になった後にもグッチ家の人々は、映画についてかなりご立腹でご不満な様子だ。

アルパチーノが演じたアルド・グッチ、これも本編では名前はそのまま使われている。アルド・グッチには実際には娘がいる。この娘の名前がなんとパトリツィア・レッジャーニと同じ"パトリツィア"なので、イタリアではかなり紛らわしい。パトリツィア・レッジャーニはPATRIZIA、アルド・グッチの娘はPATRICIAという綴りで表記される。発音はそのままパトリツィア・グッチ。

この娘が「私の父を演じたのがゴッドファーザーなどマフィアのイメージが強いアルパチーノ、あんな背が低くて悪どい顔の俳優が演じたことは侮辱そのものだわ。父はもっとスリムで背が高いのに!」と、大手新聞社の独占インタビューで語っていた。

そして、当時のグッチのデザイナーであったトムフォードも映画をボロクソに酷評した。「デザイナーであった当時はこんなコミカルに笑える場面などなかったし、誇張し過ぎている。これが映画と言えるのか?茶番だ。本当の現場を知らないからこんなものが作れたんだ。」などと。

| 地元ミラノ、イタリア人と一緒に『ハウス・オブ・グッチ』を観に行ってみた

映画では全く描かれていない実話の方が遥かに奇なり

この映画の脚本は、サラ・ゲイ・フォーデンの著書『House Of Gucci:殺人、狂気、魅力、貪欲のセンセーショナルな物語』を基に、ロベルト・ベンティヴェーニャによって書かれた。グッチ一族の崩壊とマウリツィオ・グッチ暗殺事件の黒幕だったマウリツィオの元妻パトリツィア・レッジャーニに焦点を当て、実話を元にグッチ犯罪の全貌が書かれた小説が原作となっている。

「事実は小説より奇なり」ということわざがあるが、時に映画や小説のフィクションよりも想像を凌駕する驚くべき現実が実話にはある。リドリー・スコット監督は、「この物語は本当に信じられない、映画よりも映画だ。フィクションの犯罪ストーリー以上のものがある、テレビシリーズのような脚本に似ている。」と語った。

キャストも豪華で、アル・パチーノ、ジェレミー・アイアンズ、ジャレッド・レトなど。そしてパトリツィア・レッジャーニ役を演じるのが、レディー・ガガである。アダム・ドライバーがマウリツィオ・グッチを演じる。

私は、イタリアでの映画公開初日にさっそく映画館に出かけ、この『ハウス・オブ・グッチ』を観賞してきた。

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筆者撮影、イタリアの映画館。入場にはグリーンパスの提示が必須。チェックを受けている所。

イタリアでは現在映画館に入るには、グリーンパスの提示が必要である。映画を見ている間中もマスクは着用していなければならない。映画館の収容許容は100%で、初日はスパイダーマンの映画とかぶっていたので、満員ではなかったが、R14指定の『ハウス・オブ・グッチ』は70%の席が埋まっているという感じ。

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筆者撮影、映画館の年間パスVIP席。レザーシートでゆとりがありリクライニングも可能。

イタリアでは映画はイタリア語での完全吹き替えで見るのが主流で、ハウスオブグッチの映画は、吹き替え版のみの上映だ。
なので、オリジナルのレディーガガの声や英語なまりのイタリア語の台詞などは、全く聞けなかった。声優によって完璧なイタリア語で吹き替えられていたので、面白味のないイタリアで作成された陳腐なイタリア映画のようにも感じた。実話の方がもっと闇が深いからである。

イタリア人たちは映画観賞中でもとにかく声を出してよく喋る。

劇中の舞台となった景色は私たちの見慣れているミラノの風景である。日本ではあり得ない光景であるが、これが現地イタリアの「なう・シネマ・パラダイス」

知っている場所がスクリーンに映し出されれば、どこだ、あそこだ、なに通りだ、と地元ミラネーゼたちが口々に解説を始めたのである。主人公の2人が出会い、マウリツィオ・グッチが大学生時代を描いていたシーンでは、マウリツィオが卒業した大学は実際には、サクロクローチェ・カトリック大学の法学部であるが、映画では国立ミラノ大学の外観が映し出され、ミラノ大学法学部の図書館も映ったので、「スタターレ(国立ミラノ大学)だ!」と、声が上がったり、二人の結婚式のシーンは実際はミラノだったところをローマの教会だったので、「教会が、ミラノじゃない」という人たちもいた。

さすがに実際の殺人現場となったミラノのパレストラ通り20番では撮影許可が得られたなかったそうで、最後のシーンはローマだった。そこでも、ミラノ人たちは、「パレストラ通りじゃないぞ」「あの通りに噴水なんかあるかよ、ローマじゃね?」などと、ボソボソ文句を言っている声があちこちから漏れていた。

映画はそこでエンディングを迎えるが、本当はここからが面白いのが実話であると、事情を詳しく知る筆者は思うのである。

映画では、夫のマウリツィオ・グッチは抹殺したが再婚相手のパオラは殺害していない。夫を殺害した本当の目的は、自分の大事にしていたものを奪った人に対しての復讐、つまりパオラという一人の女性の夢と愛と人生を破壊することなのではないだろうか。自分が発展させたと信じているグッチブランドへの固執、「グッチ夫人は私だけ」であり、パオラに名乗らせたくないという女の執念を感じる。

最愛の人を亡くした不幸な未亡人パオラの人生を哀れみながら一生をかけて見届ける。それこそがこの犯罪の真の目的であり、パトリツィアの恐るべき物語はまだ完結はしていないと思えてならない。

この映画の見所は、レディー・ガガが映画で着用している衣装でも楽しめた。

ワードローブにある衣装のほとんどは目が眩むような最高級の本物のヴィンテージファッションアイテムを含んでいる。70年、80年、90年と時代の流れと共に当時のファッションモードが伺えた。ファッションの流行は繰り返されるものだ。現代でも、1周回って逆に斬新さを感じるそんなファッションもあるかもしれない。

ヴィンテージセリーヌの豹柄ドレスやジミーチュウのシューズ、マックスマーラのキャメルコート、ディオールのサングラス 、エルメスのスカーフ そして、グッチのヴィンテージ・スーツ。

90年のグッチモノグラムドレスや定番アイコンのジャッキー バッグ1961など、ファッション好きにはたまらないアイテムが続々登場する。それらを着こなしていくパトリツィア・レッジャーニを演じるレディー・ガガの華麗な衣装も素敵だった。

イタリア人、ましてや地元ミラノ人なら誰しも知っている実話なので、映画のストーリーやオチなども既に熟知している。映画の注目点は主演を演じたイタリア血統のレディー・ガガの演技力と、どこまでパトリツィア・レッジャーニににせているかだ。

レディー・ガガはまさにパトリツィア・レッジャーニの若いころに瓜二つのそっくりだった。

レディー・ガガはやはり本職は歌手。映画『アリー/ スター誕生は歌姫レディー・ガガが演じ、歌ったからこそライブシーンは心に響いた。

欲を言えば、ハウス・オブ・グッチでも折角なので、ちょっとだけでも歌ってほしかった気はする。

存続する日本最古の歴史ある映画雑誌「キネマ旬報」様に、記事を書かせてもらった。とても光栄なことで恐悦至極である映画「ハウス・オブ・グッチ」特集。キネマ旬報 2022年1月上下旬合併号No.1882より

 

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著者プロフィール
ヴィズマーラ恵子

イタリア・ミラノ郊外在住。イタリア抹茶ストアと日本茶舗を経営・代表取締役社長。和⇄伊語逐次通訳・翻訳・コーディネータガイド。福岡県出身。中学校美術科教師を経て2000年に渡伊。フィレンツェ留学後ミラノに移住。イタリアの最新ニュースを斜め読みし、在住邦人の目線で現地から生の声を綴る。
Twitter:@vismoglie

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