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トルコから贈る千夜一夜物語

木村菜穂子|トルコ

ついに悲鳴を上げたトルコのマルマラ海、「鼻水」放出で世界へ警鐘を鳴らす

iStock - マルマラ海を覆う粘液

トルコにもお魚の季節がやってきました! 新鮮なお魚が一年中スーパーで売られている日本とは違い、トルコでは夏の時期には閉まっているお魚屋さんが多いです。これはトルコで、4 月 1 日から 9 月 1 日までが原則的に禁漁期間とされているため (魚の種類や漁の場所にもよります)。もちろん、冷凍の魚は年中手に入ります。

漁が解禁となる 9 月以降に魚屋さんが営業をし始め、禁漁が始まる 4 月 1 日まで生の魚が手に入れやすくなります。私も近所にお魚屋さんがあるので、去年の秋から冬にかけては足しげく通っていました。ところが今年はそんなトルコの魚屋さん事情に変化がみられるかもしれません。

今年 (2021 年) の 6 月にトルコではこんな衝撃的なニュースが流れました。「『海の鼻水』がマルマラ海で大量発生- 海洋生態系を脅かす」。日本でも報道されていたので、ご存じの方もおられるかもしれませんが、日本語のニュースを貼り付けておきます。

トルコのサファイアとも称されていたマルマラ海の水面上が茶色のどろどろした粘液で覆われています。そしてこの粘液は海面に現れただけではなく、なんと海面下 80-100 メートルのところにまで、そして海底にまで厚い層を形成しているというのです (こちらの記事をご参照ください)。

マルマラ海とは?

マルマラ海はトルコにある内海で、黒海とエーゲ海を結んでいます。

このマルマラ海に面するのは、急速に発展を続ける人口約 1600 万人を擁するトルコ最大の都市イスタンブールと近隣の 5 つの州、そして工業地帯。実際このマルマラ海周辺には、トルコ国内の 3 分の 2 を占める工業や産業 (石油精製所、自動車メーカー、化学プラント、発電所) が集中しています。

マルマラ海は、ムール貝を含む貝類、カニ、エビ、サンゴ礁などに加えて 230 種もの魚の生息場所となってきました。漁業が盛んにおこなわれ、サーフィンやダイビングなどのマリンスポーツで人々を魅了してきました。

かつては「トルコのサファイア」とも呼ばれたこの海。実はトルコが急速に発展しだした 1950 年代から汚染は始まり、つい最近に至るまでその汚染は悪化の一途をたどってきました。そう、マルマラ海が「海の鼻水」を放出して SOS を出したついこの間まで。

ネバネバの「海の鼻水」の正体とは?

これは、植物プランクトンと呼ばれる海中の微細藻類が厚くて泡状の粘液を形成したものです。英語では "Sea snot" と呼ばれており、日本語訳では「海の鼻くそ (または海の鼻水)」。

通常、こうした微細藻類は光合成をおこない、水を浄化したり海中酸素を供給したりする有用なもの。ところが負担がかかると、どろどろした粘液を形成して制御不能なほどに増え広がります。この現象は、温暖な気候水質汚染による栄養過多によって引き起こされるといわれています。

トルコでこの粘液の発生が初めて確認されたのは 2007 年だということですが、今回の大量発生は観測史上最大の規模だといわれています。ヌルヌルしたジェル状で、手ですくってもスルスルと手の間から簡単にすり抜けていきます。さまざまな微生物を含んでおり、マルマラ海に流れ込んでくる栄養価の高い下水や排水を栄養としてどんどん繁殖します。海の表面を広く厚く覆うだけでなく、海底でサンゴや他の生き物に覆いかぶさることで酸素が全く届かない状態にしてしまいます。

マルマラ海で「海の鼻水」が発生した理由

この粘液がここまで広がった理由として 3 つの要因が挙げられています。1. 環境汚染2. 地球温暖化が重なったこと、そして 3. マルマラ海の地理的な特徴です。

まず地球温暖化という要因については、マルマラ海の水温はここ 20 年で 2 - 2.5 度上昇しています(ドイツ国営の国際放送 DW による)。これは世界平均より高い上昇率です。

そして環境汚染という要因については、マルマラ海の汚染は窒素やリンなどの有機化合物によるもの。つまり、下水を含む汚水が垂れ流しになっていることから引き起こされています。

マルマラ海周辺の人口は 2000 万人を超えています。適切な下水処理がなされていないトン単位の汚水に加えて、農業・工業の汚水、都市化事業からでる廃水、マルマラ海を航行するタンカー船からの汚水や燃料などが半世紀にわたって海底に大量に放出され続けてきました。さらに適切な漁業規制が行われない乱獲も海洋生物の減少に拍車をかけ、生態系のバランスを壊してきました。

そして3つ目の理由として、マルマラ海は内海でいわば閉ざされた環境。これにより行き場のない汚水が海底にどんどん蓄積されてきました。

iStock-1318310882.jpgiStock - イスタンブールとその向こうにあるマルマラ海

ついに今年の 6 月にマルマラ海は、自己修復の限界を超えたという SOS を送ります。粘液が海の表面を厚く広範囲に覆い、だれがどう見ても海が異常な状況になっていることが明らかになりました。でもこうなる前よりずっと前に、目に見えない海底部分では汚染が進んでいて、海中の酸素濃度が減り、マルマラ海に生息する海洋生物が致死状態に追い込まれていました。待ったなしの対応がトルコ政府に求められています。

「海の鼻水」に対するトルコ政府の対応

2021 年 6 月 8 日から 1 か月以上をかけて、マルマラ海の表面を厚く覆うこの粘液の除去作業が昼夜を徹して 24 時間体制で行われました。実質的にはこの粘液を吸い取る作業です。

IMG-9689.jpgYouTube - France 24 からの画像

マルマラ海周辺の工業セクターには調査が入り、175 の企業や事業、11 の船舶に 273万ドルもの罰金が科せられました。52 の企業または事業が環境保全に違反しているという理由で停止に追い込まれました(こちらの記事をご参照ください)。

環境都市政策大臣 Murat Kurum 氏はマルマラ海の汚染を改善するための解決策を取りまとめました。マルマラ海周辺にある下水処理施設は、高度な生物学的処理施設へと建て替えられます。近い将来、汚水がこの生物学処理法を経ずにマルマラ海に流されることはなくなります。

Murat Kurum 氏は、窒素を 40% 減らすことができればこの汚染の問題を根本的に解決できるという専門家の話を引用し、今後 3 年間で (つまり2024年までに) マルマラ海周辺のすべての州都に汚水処理施設を完成させることを目指しています。汚水処理や排出に関する新しい規則が間もなく導入されることになっています。対応が早ければ早いほど酸素濃度が早く回復し、数か月で海の環境は良くなっていくはずだと言われています。

さらに、2021 年の終わりまでにマルマラ海は保護区に指定される予定です。とはいえ、マルマラ海が元の汚染が全くなかった時の状態に戻ることはないと言われています。今回の政府の対応は、海が自己修復する力を少しでも助けるように規制を整えることを目指しています。

現在のマルマラ海の状況

7 月半ば時点でマルマラ海の清掃活動には一定の成果が出たと報じられました。現在のマルマラ海は、油絵具をべっとりと厚く塗り広げたように粘膜が広がるあの姿ではありません。

IMG-9688.jpgYouTube - France 24 からの画像

先にも触れた環境都市政策大臣 Murat Kurum 氏によると、海面上と海面下 30 メートルの範囲で粘膜は除去され、観察されていません。実際、エルドアン大統領は 7 月半ばに「マルマラ海はよりきれいに、そしてより青くなった」と宣言しました。ただしこれで問題が解決されたわけではありません。

表面に現れた粘液は、単なる氷山の一角だと指摘されています。問題は水面下で起きていることです。先ほど海面上と海面下 30 メートルの範囲で粘膜は除去されたと書きましたが、海底には粘膜が厚く覆いかぶさり、海底から 10 メートルほどの範囲にこの粘膜が蓄積されています。

つまりサンゴ礁をはじめとする海底近くに生息する生き物の生存が脅かされています。サンゴの中でも傷つきやすい Paramuricea clavate と呼ばれるマルマラ海に生息するサンゴは今年中に絶滅してしまうといわれています(こちらの記事をご参照ください)。海面下では、海底生態系の破壊がどんどんと進んでいるのです。

水中生物学者の Levent Artuz 氏はこのように述べています。

"The essential problem isn't mucilage. That's just a link in the chain of decades of degradation. We have zero chance of recovering the Sea of Marmara as it was. What we have to do now is figure out how to prevent the Marmara from harming us."

本質的な問題は粘液ではない。これは、数十年という年月をかけて蓄積された汚染の 1 つの現象に過ぎない。マルマラ海が昔の姿に戻ることはない。今すべきことは、マルマラ海からの危害を防ぐ方法を考えることだ。

マルマラ海での今年の漁獲量は 2020 年と比べて 90% も減少しているといわれています。たとえ捕獲した魚を魚市場に持ち込んだとしても、あの汚染の様子をまざまざと見せつけられた消費者の購買意欲を刺激することはそれほど期待できません。

現在トルコではマルマラ海の魚を食べることは体に良いのか悪いのかという議論がなされていますが、この記事で書いてきたようにマルマラ海の汚染は今に始まったことではありません。ですから去年まではマルマラ海で採れた魚を食べていたのに、今年になって急に食べないというのもある意味 論理的ではありません。今後魚を一切食べないのかというと、これもまた現実的ではありません。魚が肉類よりも体に良いことはよく知られた事実です。

マルマラ海で起きていることは世界への警告メッセージでもある

マルマラ海で起きていることは地球温暖化の影響を如実に表すものです。人間はずっと驚異的ともいえる自然の回復力に頼りすぎて来たのではないかと思います。そのため、汚染の兆候を見ても自然に消えるとたかを括ってきたのかもしれません。でも温暖化により、絶妙なまでにバランスがとれていた自然のサイクルが機能しなくなっています。

トルコは、G20 の中でパリ協定を批准していない唯一の国だといわれています。パリ協定とは、温室効果ガス排出削減など気候変動抑制に関する多国間協定のことです。

そんなトルコも、今回のマルマラ海の悲鳴を重く受け止めて、環境保全へと大きく舵を切り始める必要があります。マルマラ海の海底と海底から 10 メートルのところで今もどんどんと進行する海底生物の破壊と破滅。一刻も早い迅速な対応が求められています。「もう遅い」という声もありますが、まだできることもあるし、何よりやらなければいけない。忍耐の限界に達している自然が発するメッセージを無視することはできません。

 

Profile

著者プロフィール
木村菜穂子

中東在住歴13年目のツアーコンサルタント/コーディネーター。ヨルダン・レバノンに7年間、ドイツに1年半滞在した後、現在はトルコ在住4年目。メインはシリア難民に関わる活動で、中東で習得したアラビア語(Levantine Arabic)を駆使しながらトルコに住むシリア難民と関わる日々。

公式HP:https://picturesque-jordan.com

ブログ:月の砂漠―ヨルダンからA Wanderer in Wonderland-大和撫子の中東放浪記

Eメール:naoko_kimura[at]picturesque-jordan.com

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